category: fukuoka
DATE : 2009/02/19 (Thu)
DATE : 2009/02/19 (Thu)
福岡県太宰府市教委は18日、同市朱雀2丁目の西鉄二日市操車場跡で、奈良時代中期(8世紀半ば)の大きな建物跡2棟が出土したと発表した。同操車場跡では昨年も広さが今回の倍ほどの建物跡2棟が見つかっており、市教委は大規模な建物が複数まとまってあることなどから、これらを古代の役所「官衙(かんが)」跡と断定。ただ数十年しか使われなかったとみられ、「大和朝廷の『遠(とお)の朝廷(みかど)』と呼ばれた大宰府を再整備する過程で、一時的に使われた施設ではないか」としている。
発掘現場の広さは全体で約2。4ヘクタール。2004年度から調査を始め、昨年8月からの第275次調査で、南北約6メートル、東西約12メートルの建物が2棟新たに見つかった。「大宰府政庁」跡から南へ約1キロの地点で、碁盤の目状に道路が走る都市跡「大宰府条坊」のほぼ中央に当たる。
遺構から見つかった土器などを分析した結果、市教委は長くても50年ほどしか使われなかった施設と考えている。
大宰府条坊では、役所機能を持つ官衙域と、役人が住む居住域が御笠川を挟み南北に分かれていたとみられている。今回の建物跡から20メートルほど西側で昨年4月に見つかった建物跡は居住域にあるが、大きすぎて用途が分かっていなかった。
同市教委の中島恒次郎主任主査は「地方の安定を図り大宰府を再整備した過程で、一時的に用いられた施設と推測でき、国の試行錯誤の証し」と話している。
発掘現場の広さは全体で約2。4ヘクタール。2004年度から調査を始め、昨年8月からの第275次調査で、南北約6メートル、東西約12メートルの建物が2棟新たに見つかった。「大宰府政庁」跡から南へ約1キロの地点で、碁盤の目状に道路が走る都市跡「大宰府条坊」のほぼ中央に当たる。
遺構から見つかった土器などを分析した結果、市教委は長くても50年ほどしか使われなかった施設と考えている。
大宰府条坊では、役所機能を持つ官衙域と、役人が住む居住域が御笠川を挟み南北に分かれていたとみられている。今回の建物跡から20メートルほど西側で昨年4月に見つかった建物跡は居住域にあるが、大きすぎて用途が分かっていなかった。
同市教委の中島恒次郎主任主査は「地方の安定を図り大宰府を再整備した過程で、一時的に用いられた施設と推測でき、国の試行錯誤の証し」と話している。
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